「相談の技法」~人権擁護の視点から~(月報全青司2018.11掲載)

 本稿では、憲法的視点からの相談技法を検討するにあたり、まず、憲法そのものに関する事項について触れたうえで、その後、本題である相談技法について言及していきたいと思う。

 憲法とは、人権擁護を目的とし、その手段として統治機構を定めた、日本の最高法規である。
 「人権」は、かつては神や自然が人間に与えたと説明されていたが、今日においては、「人間が人間らしく生きるために不可欠な権利」と捉えられるようになった権利であり、憲法第97条でも示されているように、人類の多年の努力の成果によって、勝ち取られてきたものである。このように理解すれば、「人権」とは、必ずしも意味を固定するのではなく、時代の変化によって具体的内容も変化するのも当然であり、世界各国でその概念が異なっていることも当然と考えられる。生存権などの社会権が人権に加わったのも、このような権利が保障されなければ社会的弱者は「人間らしく」生きられないと考えるようになったからに他ならない。したがって、現在憲法に規定されているものだけが人権ではないことをまず確認しておきたい。

 我々司法書士が、人権擁護の担い手として市民からの相談にあたるとき、「法律違反は存在しないから問題ではない」などの思考には陥るべきではない。司法書士として、人権を考える際の基本的な考え方について、ここで数点整理する。①「ひとりひとりはみな異なる」― この世の中には、全く同じ人は存在しない。宗教が異なる人もいれば、顔かたち、性的指向も異なる。②「人を個人としてみる」― 日本人は勤勉だ、女性は優しい、高齢者は穏やかだ、などと類型化することは、そうでない個人に対しては差別的に働くことを意識する。③「少数者に目を向ける」― 人権尊重は、民主主義と一体として語られることがしばしばあるが、これは誤りである。日本の憲法制度においては、「民主主義」に基づく国会や内閣を、「人権尊重主義」の立場から抑制するのが裁判所の役割となっている。マジョリティの人権が保障されているか否かではなく、最後の一人の少数者の人権が保障されているか否かの視点が重要であろう。そして、民主主義は、多数派による専制の危険性を内包していることを理解すべきである。

 「人権擁護」の対義語である「人権侵害」の主体となり得るのは、隣人や会社だけではない。何よりも人権侵害がなされる危険性を感じるべきは、国内において最大の権力を保有している国家である。司法書士が日本の法制度の一端を担う法律家であるならば、まず人権とは何かを深く探求し、人権侵害に対して声を上げる職能でなければ、市民の期待に応えていないというべきであろう。 

 国際社会から見た日本の人権状況は、極めて厳しい。「国内人権機関の設置」「アイヌ・琉球の人々など先住民族の権利承認」「在日コリアンに対する差別撤廃」「性的指向に基づく差別の撤廃」など各条約の委員会の反応や意見としての勧告は多岐にわたっている。以上は一部に過ぎないが、今まで人権として捉えられなかった問題が、国際社会の目から見ると、私たちの、そして日本社会の解決すべき課題として浮き彫りになってきているのである。

 以上のようなことを考慮するならば、「国民の権利の擁護と公正な社会の実現」を使命とする司法書士の相談は次のようにあるべきである。

①市民からの相談に当たるときは、どの事件でも同じだと一般論で答えるのではなく、その人の背景事情も含めた相談者固有の問題であることを意識して向き合う必要があろう。

②相談の内容が、人権の見地から不当だと感じるが、現在の法律では解決できない場合であっても、簡単に諦めるのでは無く、違憲訴訟や、法律改正運動をするなどの様々なアプローチを検討することで、より人権が守られる社会となるように努力すべきであろう。
③自分の価値観が正しいのだと思い込まず、相談を受ける中で、もしかしたら自分は偏見を持っているのでは無いか、少数者を傷付けるような表現をしているのでは無いか、などと絶えず内省する心を持つべきではないだろうか。